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2005年9月 キャロル・アドリエンヌ Ph.D スベトラナ・キムさんの類まれな勇気と適応性についてお話しましょう。ラナさんは現在37歳、韓国系ロシア人の四世です。金融関係の仕事に就き、ファイナンシャル・プランナーの資格とファイナンシャル・コンサルタントの免許を取るべく勉強中です。フランバー協会という、国際的な協会に所属し、その他にも社会貢献の活動のための時間も捻出しています。 ラナさんは14年前にロシアから逃亡、アメリカに来ました。1991年の冬のある日、ロシアのレニングラードでパンを買うために店の前に並んでいたときのことです。そのパン屋には3日間、売るパンもなかったにもかかわらず、パンを買い求める人たちの長蛇の列。ふと、肩をたたかれ、ラナさんが振り返るとそこには高校時代のクラスメートの姿が。懐かしい話に夢中になり、彼女は自分がセイント・ピーターズバーグ大学の学生であること、一日に4ドル(日本円でおよそ450円)の配給金で生活していること、一時間50セント(55円)で家庭教師をしていることなどを話したのです。そのクラスメートは闇市で航空券を売っているということでした。それを聞いた瞬間、ラナさんの口から出た言葉は「アメリカに行くわ。今日中にチケット手に入れたいの」だったといいます。「その時、まったく何も考えていませんでした」と、ラナさんは回想します。勿論、驚いたクラスメートは相手にしてくれなかったそうです。闇市の航空券は通常の10倍もの値段だったのです。 「意思の力」 「確かに私にはお金はないけど、今夜何が何でも手に入れるから」と言い切ったラナさん、なんとその後4時間の内に900ドル(10万円)のお金をいとこ達から貰いました。「お金は返さなくていいから。元気でがんばってね」という言葉と共に。その日の夜11時。数冊の本、2組の下着、靴下、Tシャツ、そして一ドル札、そして世界地図をもったラナさんの姿が飛行場にありました。「飛行場では、高そうなミンクのコートを着た、きれいな女性に怒鳴られました。書き方が分からずに、搭乗に必要な慣れない書類をのろのろ書いていたからでしょうか。『お金もないくせに!なんでアメリカになんかいくのよ!』と怒鳴られた私は泣き出してしまいました。確かに痛いところを衝かれたのです。ロシアから逃げ出し、英語もしゃべれず、知った人一人もいないアメリカにいくなんて!そんな私を見かねたのでしょうか、エストニアから来たという女性が書類の記入を手伝ってくれました。『行きなさい。きっと行けばどうにかなるから』と彼女は励ましてくれました。私のストレスレベルは最高潮に達してました。」 ロシアを出てニューヨークのJFK空港に着いたのは既に真夜中過ぎ。どうしていいのか分からずにラナさんは8時間だたボーっと空港に座っていたといいます。「一人の男性が話しかけてきました。英語ができなかったので、私は知り合いのお姉さんが住んでいるという住所を彼に見せ、持っていた地図を開きました。住所をみて、カリフォルニアはニューヨークのまったく反対側だと教えてくれました。彼に、飛行機の絵を書いて見せると、しばらくその場から立ち去り、戻ってくると1600ドル(17万円)の値段を書いた紙を見せてきました。(クリスマスの時期で運賃は最高に高かったのです)私は首を横にふり、電車の絵を描くと、今度は彼が首を横に振りました。次に、バスの絵を描くと、彼は186ドル(2万円)の値段を書いてきました。私は持っていたなけなしのドル札を彼に見ました。それを見て、うなずいた彼は私と一緒にタクシーに乗り込みバス停まで連れて行ってくれたのです。そこでバスのチケットを買ってくれ、何か運転手に話をしていたようでしたが、私はただ黙ったままで、お礼をいうこともできませんでした。」 「困難な始まり」 乗り込んだバスの中でラナさんは3日間、飲まず食わず過ごします。精神的にも、肉体的にも疲れ切っていたラナさんは眠り込んでしまい、降りるべきサクラメントのバス停を乗り過ごしてしまったのです。結局夜の11時、サンフランシスコのバス停に降り立ったラナさんを浮浪者が乱暴をしようとしたため、助けを求めた彼女を警察が保護しました。彼女の防寒着の服装からラナさんがロシア人だと判断した警察は通訳を呼び、彼女がロシアから逃亡してきたことを知ります。警察官の一人がラナさんを数日間家に泊めてくれたそうです。その後、ラナさんは寝床を提供してくれる人たちの家を泊まり歩いたといいます。そうしているうちに、ラナさんは子守の仕事をはじめ、子供の本を読みながら英語の勉強を始めました。仕事が休みの日には、動物園に行き、人の近くに行っては会話に耳を傾け、英語の音に慣れようとしたといいます。そんなある日の出来事。一人の男性が彼女に話しかけてきたのですが、どういう訳か、直感で、どうしても話をする必要性を感じたラナさんはドイツ語で返事をしたのです。「驚いたことに、この男性はドイツ人でした!カールという名のこの男性、私と同じく、ラーモンドフというロシアの詩人が好きだということが分かりました。カールは美容院を経営しており、また映画製作にも携わっていました。彼は通訳として私を雇ってくれて、そして2ヶ月間ただで住める場所を見つけてくれたのです。また自分のサロンに私がロシア語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語の4つの言語の通訳ができる、という広告を張ってくれたのです。」 「流れに身を任せて」 幸運か、それともシンクロニシティーに導かれてか、ラナさんは早速次の日には広告を見た女性の作家に雇われたのです。その作家と彼女の夫は、ラナさんの親代わりとなって面倒をみてくれ、彼女がスミス大学、コロンビア大学という東部の有名大学に行く手伝いもしてくれたといいます。しかし、永住権を持たないラナさんは、大学の奨学金を貰うことも出来ずに、ニューヨークのアパートに引っ越すことになります。結局大型ストアー、メーシーズで販売員の仕事を得たのですが、何しろ英語が完璧でなかったため、パートタイマーとしてしか雇ってもらえませんでした。それでもひるまずに、あっという間にラナさんは店の一番の販売となります。 「長所を伸ばす」 お客さんとの間に強い信頼関係を築きながらラナさんは自分の居場所を見つけていきます。メーシーズ・ストアーでは、パートでありながらも、それまで18年間の中でどのフルタイムの販売員よりもよい売り上げ成績を挙げました。「一人残らず、私のカウンターにいらしたお客さまの記録を残しておいて、機会をみては、カードを送り、またお越しいただけるようなシステムを作りました。一人のお客様で、ニュージーランドからわざわざ来店され、一度に1300ドル(14万円)ものお買い物をされた方もいます。」しかしながら、どんなにかんばっても、大学の証明書がなく、昇進されることはなかったといいます。逃亡したため、ロシアの大学の成績証明書が手に入らなかったのです。そんな困難に遭いながらもラナさんは確実に前進していきました。そのうちに化粧品の高級ブランド、ランコムに引き抜かれたラナさんは、なんと、3ヶ月の内に、プロデューサー、昇進、そして会計重役、1千万円ものお金と24人もの部下を動かす地位を得たのです。 「前進あるのみ」 2001年にラナさんはアメリカ市民権を得ました。まさにその日、彼女は株のブローカーの仕事に応募します。「株の仲買人になりたかったのです。幼い頃に私がお手伝いすると必ず祖父母はそれに対しての報酬をくれました。こつこつとためたお金は、10年間ほどの間には医者であった両親たちがためていたお金よりも増えていたのです。幼いころから利子とはなにか、どういう仕組みなのか学んだのです!私にとって証券を売ることは、化粧品を売ることと同じことなのです。」新しい会社でラナさんは名誉賞を貰います。 「自分の居場所を求めて」 ラナさんは、人がしっかりとした経済基盤をつくるためのお手伝いをすることに非常に熱心です。証券関係の仕事は、男性の多い職種ですが、その中で女性であるということで仕事においてより彼女らしさを出せる、とラナさんは考えます。特に女性のお客さんとの仕事をすることにやりがいを感じるという彼女は、2010年までにはアメリカの富の半分は女性の手の中にあるだろう、という予測をしています。同時に、お金を投資する人たちの層も変わってきたといいます。医者、弁護士、その他の成功者だけではなく、さまざまな収入層、人種の人たちが投資を始めたのです。「いままで想像したことのないような数多くの人種の方たちがお客さんとしていらっしゃいます。さまざまな国から来た人たちがお金を貯金し、投資を始めています。フィリピン人、中国人、韓国人、ベトナム人、メキシコ人、そしてロシア人などが私の顧客です。興味深いことに、人はお金とは良くないもの、悪いものと教えられているようです。その概念を取り外し、ポジティブにお金を考えることで、皆さんのお金に対する考えが変わります。」 「本物のサービスを」 「私の仕事においての哲学は、『お客さまを見捨てない』、ということです。スタート時の投資額にかかわらず、それから時間をかけてサービスを提供していきます。退職金、適切な家族の保険金、税金の節約法などについて、お客様に情報を提供し、理解していただきたいのです。この仕事を通してお客さんとは家族のような関係を築いています」、とラナさん。一人の男性はラナさんの顧客となった理由に、彼女に対する信頼をあげていたそうです。「彼は42歳で亡くなられたのですが、生前『君は僕に何かあったとき、きっと残された家族の面倒を見てくれるだろう』ということで私を選んでくれたとおっしゃっていました。亡くなったとき、残された奥さんは保険、投資資料の見方などまったく分かられてなかったので、彼女が自分で経済的に自立できるようなお手伝いをしました。」 ラナさんの「創造性」は止まることを知らないようです。「医者、弁護士さんとお仕事をすることをやめました。現在私がお手伝いをしたいのは、普通の、一般的な人たちです。私は現在、配管工事協会のメンバーで、そのことを誇りに思っています。その協会に入った理由のひとつとして、この分野の人たちのお手伝いをしたい、と思ったからです。彼なの仕事は、いわゆる、重労働です。それでも貯蓄、投資に熱心な方も多く、私の大切なお客様です。職業で人を判断する事は私はしません。自分の心地よく思える市場を持っていますし、私の顧客の人たちは素晴らしい方たちばかりです。自分の顧客を喜ばせるために、自分の人格を変えたり、無理をしてゴルフをしたり、彼らと同じよなライススタイルを送っているように見せかける必要はありません。私が彼らを誇りに思っているように、彼らから私も誇りに思ってもらえれば嬉しいですね。」 起業家の人へ、ラナさんからのアドヴァイスは?「自分の好きなことをやってください。そして自分のやっていることを楽しんでください。与えるときには無償で、そして人から何かをいただくときは感謝の気持ちを忘れないでください。」との事です。 スベトラナ・キムさんはファースト・アライド・セキュリティー会社の代表で、ご連絡はbobkov2@netscape.net、もしくは(415)336-2551まで。サンフランシスコ在住。
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